小沢 隆著作「武道の心理学入門~武道教育と無意識の世界」より

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何年前だったでしょうか。はっきりとは覚えてはいないのですが、5年くらい前のことだったような気がします。何気なくテレビのスイッチを押し、チャンネルを回すと、確か、NHKスペシャルだったと思います。ターミナルケア(終末期の医療、余命幾ばくもなく、患者の回復の見込みがない為、体の苦痛を取り除き、死への恐怖をケアすることにより限られた時間をどう人間らしく生きるのか、ということをサポートする医療)をテーマにした番組が放送されていました。「愛する命を送る時」という題名のテレビ番組だったと思います。

この番組は、40前後であると思われる夫婦の旦那さんの方が癌におかされていて、余命幾ばくもなく、残り少ない日々をターミナルケアを受けながら、貴重な時間をどう寄り添って生きたのかを、奥さんの立場からドキュメントタッチで描いていたと思います。番組の最後には旦那さんが亡くなり、夫婦には永遠の別れが訪れるのですが、悲しみのなかにも何かほの明るい、優しい愛に満ちた、まるで春のような雰囲気が漂っていました。奥さんは自らの看護の様子を、ユーモアセンス溢れる絵日記にして病室の外の壁に貼り出していたのですが、その絵日記が番組の舞台となっているホスピス(ターミナルケア専門の病棟)の他の入所者たちの気持ちをも慰め、そのホスピスにいる人たちは、全員近い将来亡くなる人たちと、その家族であるはずなのに、死に対する暗さや酷さをまるでイメージさせませんでした。それはまるで、私の少年期に、天竜川の対岸の丘陵地帯を眺めて空想した桃源郷、「神々が住む安寧の土地」そのものを連想させたのです。「生きるということ」それはどういうことでしょう?

みなさんも知っていると思いますが、今、日本では1年間に約3万人以上の人が自ら命を絶っています。又、「引きこもり」といわれ自分の部屋から出ることの出来ない青少年(実は、そのなかには40歳前後の人が沢山いて、中高年も含まれているそうです。)が100万人もいるといわれています。主に、多くの中高年の精神をむしばむ鬱病なども大流行しているらしく、学校の教師も1割ぐらいの人が子供と同じ不登校になるのだそうです。又、凶悪犯罪の低年齢化や異常犯罪も増加の一途をたどっていて、それらの犯罪の動機などは普通に考えると、動機とは成立しないものが多数を占めています。連日連夜、このようなことが報道される私たちの社会は、一体どうなってしまったのでしょうか。少子高齢化のなか、老人福祉、年金問題等、日本の現代社会は様々な不安と歪みを抱え込んでいるといえます。私たちの住む現代社会は、今、「生きるということ」それを忘れているのではないでしょうか?

ここ数年前より、私ども日本武道総合格闘技連盟は、東南アジアの国々に幾つかの支部が開設されました。そんな状況もあり、時折、私は東南アジアの国々に技術指導に赴く機会があります。みなさんは、東南アジアの国々には、どんなイメージがありますか?東南アジアといっても、私もすべての国へ行っているわけではないので、私の知る範囲においてですが、日本に比べると大変貧しい国々が多いといえます。5年前、禅道会バンコク道場より指導要請があり、弟子たち数名を伴い、タイへ技術指導に出向きました。貧しい国では、例外なくセックス産業が盛んであるようです。しかも、日本の金銭感覚でいえば相当安価で行なわれている為、先進国を中心とするそれ目的の観光客も多数いるとのことです。売春は人類最古の商売であるといわれていて、貧困地帯で売春が多く行なわれるのは必然的であるようです。そういうことが手伝ってか、日本人の東南アジアのイメージはあまりよくないようで、遅れているとか、汚いとか、どこか東南アジアの国々をワンランク低く見ている人が多いようです。

5年前のタイ遠征では、実は、中国のある企業でビルの完成祝賀会に招かれていて、中国を経由してタイに向かったという経緯がありました。開発著しい中国は活気もあり、刺激もあり、大変面白かったのですが、私は2度目であるということもあり、最初は物凄く美味しく感じていた料理もだんだん飽きてきて、中国滞在後半には、完成祝賀会での空手の演武もあったせいか、なんかひどく疲れてしまいました。
「う~、疲れた。これから飛行機に乗ってタイに行くのか~。トホホだよ。」と、同行した弟子たちがそう言うので、私は、「そうは言っても技術講習会があるから行かないわけにはいかない。」と、答えましたが、内心、出来ることならばタイにはあまり行きたくはありませんでした。しかし、その疲れを優しく癒してくれたのがタイの風土だったのです。タイの都市チェンマイに着き、食事をする為に疲れた体を引きずるようにして町を歩くと、初めて来た町にも関わらず、何故かひどく懐かしく感じがして、行きかう人々の笑顔も私たちの心を和ませてくれました。タイは、なんと!癒しの国だったのです。タイの古都チェンマイは、私たちの疲れを優しくいたわり、身も心も癒してくれたのです。

タイ国の社会情勢、特にチェンマイの周辺に住む少数民族の暮らしは大変貧しく、カレン族という少数民族の15歳から20歳までの娘の50パーセントくらいは売春宿に人身売買されるそうです。そのような社会情勢のなか、タイ国内には人口の1パーセント強にあたる67万人以上がエイズ感染者であるといわれています。そして、両親がエイズで死亡し、孤児となった子供たちは29万人いるのだそうです。チェンマイでの目的は、この地で幾つか存在するエイズ孤児施設の視察の為だったのですが、日本に住む子供たちとのあまりにも違う現状に、大変衝撃を受けました。(その年1年間は、タイのエイズ孤児の支援チャリティを中心に国際貢献活動をしました。)そんな経緯もあり、東南アジアに強い関心を持つようになった私たちは、アジアに何百万人もいるというストリートチルドレンの存在を知ることとなったのです。

Photo by Avel Chuklanov on Unsplash

次の年、有名リゾート地に住むY社長の進めもあり、多くのストリートチルドレンが存在するといわれる国、フィリピンへと国際貢献活動の一環として現状の視察に訪れたのです。Y社長はフィリピン(オーストラリアや韓国にもY社長の会社があります。)で会社を経営していた経験があり、私たちよりもフィリピンについて詳しく、正確な知識を持っていました。タイでもそうだったのですが、フィリピン視察の折でも東南アジアの子供たちの笑顔は、日本の子供たちより生き生きとしていて、子供らしいというか、実にいい笑顔をしていました。又、タイ同様、町には何か懐かしさを感じさせる雰囲気が漂っていて、訪れた私たちをやはり癒してくれたのです。私は貧困に住む東南アジアの人々と日本に住む私たちとが、どちらが幸福なのだろうと、ふと考えるのと同時に、この懐かしさの源は何なんだろうと、考えました。ちょうど日本の昭和30、40年代のような雰囲気に近いのかもしれません。

総じて、東南アジアの国々は家族の絆が強く、大家族制で、核家族化が進んだ日本とは家族関係からして、随分と違いがあると感じました。実は貧しいはずの東南アジアでは、殆んど自殺するような人はいないのです。又、困っている同士、助け合う習慣が色濃く残されていて、『苦』を恥だと考える日本人の関係性と、『苦』を共有しあう東南アジアの人々との関係性の違いも強く印象に残りました。東南アジアのイメージを一言にたとえるならば、「ホスピタリティ溢れる母性の大地」というところでしょうか。人々が良くも悪くとも、生活し、生きているのです。そして、人と人とが関わりあっているのです。私は、日本社会が忘れ去ってしまった何かがここにはあると感じたのです。と同時に、東南アジアの貧しい子供たちにも武道を教えたいと、思いました。私たちが失った『苦』を共有することで生まれる絆と、私たちの文化の叡智である身体性の精神を是非交換したい、そう感じたのです。言い換えるならば、それは「母なる慈悲」と「理知を生み出す父」との融合なのだと思ったのです。私はこの交流のなかに、日本の青少年を再生へと導く鍵があるのではないかと感じたのです。医療も、福祉も、武道も、そこに生まれる関係性も、人が生きる尊厳を見出そうとすることのなかから生まれたものであると思います。すべての生命に平等に与えられた『苦』は「死」です。しかし、『苦』は導きでもあります。やがて訪れる死の瞬間まで、尊厳をかけて生きなければならないことを、日本の青少年に気づかせる為には、この国際交流が必要なのではないかと、私は直感しました。そんな思いを強く抱いていた時、日頃からターミナルケアにも潜在的に興味をもっていて、ターミナルケアと教育活動をドッキング出来ないかと漠然と考えていた私に、ある縁が生まれたのです。

フィリピン カブヤオ寮

フィリピンのマニラから車で30分くらいの所にあるカブヤオという町でターミナルケアを含む、日本人の為の老人ホームを経営するM・A氏に知遇を得たのです。 M・A氏は父と叔母の介護経験を通じ、老人福祉と、老後に人がどう前向きに生きるべきか(ジェロントロジー)ということの重要性に気が付いたそうです。年金が原資の経済状態の人でも、より良い老後の生き方の創造が出来るようにと選んだ場所がフィリピンだったのだそうです。(日本に比べると、極端に物価が安い。)私も少子高齢化社会のなかに起きる社会不安にも関心を寄せていました。日本の人口の若者の割合がただでさえ少なくなるのに、税金を納めない引きこもりが増えることは問題点をさらに拡大してしまいます。そういうこともあり、教育にたずさわる者として、それらの事を絶えず憂慮してきました。東南アジアと日本の文化交流と、ターミナルケアと教育、その4つの要素をドッキングさせた私なりの構想をM・A氏にこぼしてみると、「それは素晴らしい!是非一緒にジョイントして、力を合わせて頑張りましょう。」とのこと。私の構想に直感的な理解を示してもらえました。M・A氏の新設されるジャパンビレッチ内の施設の一角に、空手道場を含む、日本の引きこもりを中心とした社会不適応者たちの更生施設を併設することになったのです。

私は、M・A氏に、「まず、日本の子供たちに貧しい国で必死に生きる子供たちの姿勢を学ばせたいんです。それに、貧しい国の子供たちには、ただ裕福に生きたいと願うだけではなくて、生きる限り、尊厳をもって道を求めようとする気持ちを武道を通して伝えたいんです。そして、活力を失っている日本の子供たちには、ターミナルケアの現場にたずさわることによって、人の命に限りがあることを実感して、何かを感じてもらいたいし、老人達には、子供たちとの関わりを通して、自分の命が子供たちの役に立つことで、老後の人生に生きがいを見出せるようになるのではないかと思うんです。ここには、いろんな個性を持った青年たちにもボランティアに来てほしい。その青年たちと共に武道で汗を流したい。そして、そのボランティアの青年のなかから、地上最強の格闘家が出てきてほしい。もしそうなったら、強さとは優しさだと世界に向かって胸を張って叫んじゃいますよ、私は。そんなことのなかで、人と人との関わりがいろんな文化活動を生み出し、様々な趣味の輪がこの中に広がっていけばいいなぁ。その中心が道場であったら、まさに道場ですよねぇ。」という趣旨のことを伝えたのです。

その時、私は「愛する命を送る時」というNHK番組を見た後で感じた、ほの明るい、優しい愛に満ちた、まるで春のようなイメージが脳裏に浮かんだのです。私は幼い頃、何もかにも積極的な興味が持てずに天竜川の東側にあたる対岸にある丘陵地帯を、退屈な授業の暇つぶしに、よくぼんやりと眺めていました。
「毎日毎日、死ぬまでこういう日が続くのかな。大人になってもこういう日が続くんだろうか。生きるって一体何なんだろう?」と、薄ぼんやりと考えながら未来を持て余していたのです。そんな無気力な少年だった私の目に映る対岸の丘陵地帯を、何故か私は桃源郷のイメージと重ね合わせていました。

「川の向こうには、神々に守られた安寧の土地がある。」
と。

私のイメージした桃源郷とは、このことだったのかもしれません。

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